top of page

親譲の無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使いに負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴やつがあるかと云いったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた…

 

これは、言わずと知れた「坊ちゃん」の書き出しですが、私の生き方も、まあ大体このようなものでした。

仲間から一目を置かれたくて、バイクのレースに命を懸けたことも、峠を攻めたことも(隣の学校を攻めたことも)ありました。

 

人生太く短く。

家族や親しい友人は、そんな私の生き方を、さぞハラハラしながらみてきたことでしょうね。

 

元号が令和になり、流行り病の世の中が始まったころ、不意に私は大病を得ました。肺からリンパ、脳へと転移したステージ4の末期癌でした。

主治医からは3か月の余命宣告を受け、私の太く短い人生は、その時、一旦、終わりを告げました。

 

幸いな事に、妻や家族の献身的な支えと医療スタッフの皆さんの懸命な努力によって、治療開始から1年、私の癌はほぼ「寛解」となりました。

主治医も「常識外れ」「経過を学会で発表する」と驚くほどの、奇跡的な回復だったそうです。

 

何か大きな力で生かされたのだと、素直に、心から思いました。

私は、生まれ直ったのです。天から頂いたこれからの人生。これからは世のため人のために生きるねばならない。私はそう決意し、私の思いを具現化するため、改めてこの会社をリブート(再起動)させることにしました。病から生還し、人生の「再起動」を始めた私と同じように。

 

 

そんな私を見て、古い友人はきっとこう云うでしょう。「なにあっぺとっぺなことしてんだ!」

 

「あっぺとっぺ」は、私の地域の方言で「訳のわからないこと」を意味します。昔の私も、今の私にはそう云うに違いありません。

 

その言葉を社是として、大真面目に参ります。

どうぞよろしくお願いします。                                  

 

 

 

                    令和3年3月11日 震災から10年のこの日に

                         

                                                                会長   菅野眞吾

                                                                                       

社是 
世のため人のため

3つの事業
  • ​管理事業

  • 開発事業

  • 貿易事業

あrakkan.jpeg
bottom of page